県内自治体のトップが逮捕されるという衝撃的なニュースは、その後明るみになってくる報道内容とともに考えさせられることが多くある。地元長崎新聞では『衝撃の波紋』と題した特集記事が三日連続掲載され、その中で「汚職の土壌は変わっていない」とされる元首長のコメントがあった。その「土壌」とは首長選挙ごとに繰り返される公共工事を請け負う業者間の対立構図だ。歴史的に長引く派閥対立によって選挙が厳しくなれば、候補者にとっては組織拡大と活動経費の確保のため多額の資金が必要となり、そこに支援する業者が費用負担を申し出る。結果、勝利した首長は強力な権限で指名入札制度に介入し支援業者に便宜を働くという「もたれあいの構図」だ。
ただしこのことは今回の南島原市に特化したものでもなく、古くからどこにでもある癒着体質だと思われる。私が初の市長選挙に挑んだ5年前もそうした元首長同士の対立する派閥構造が平戸市にもあった。ある意味、その対立構図に乗っかった形で私の陣営も結果的に有利に戦いを進めることができたのかもしれない。しかしその後が大変だった。私を支援した複数の業者からは「(応援したのに)何のメリットも得られていない」「なぜ相手陣営の業者を指名から外さないのか」という苦情が寄せられ、その一方で敵対する陣営からは「今度の市長は腰抜けだ。(報復など)何もしきれん」と揶揄された。つまりどっちの陣営からもマイナス評価だったのだ。
それだけ罵倒される言葉が寄せられながら、私がその古い体質から脱却できたのはマニフェストの力だったかもしれない。私はマニフェスト項目のタイトルに「今こそ平戸維新!」を掲げ「明治維新は倒幕派、佐幕派の対立をのり超え日本が一つになった偉業だ。平戸市も昔ながらの派閥抗争にピリオドを打ち、足を引っ張らないで手を取り合い結束すべきだ」と訴えていた。だから当選した翌日からこの理念を覆すわけにはいかなかった。また私が市長になった歴史的意義もそうした市内の無意味な対立意識を「無力化」することだと自分に言い聞かせていた。もう今となっては誰もそんな不満は言わなくなったが、とにかく当時は精神的にも辛かったのは事実だ。
とにかく透明性を高め客観性をもって入札契約制度の改革に取り組んできた。ただし昨年の職員による不祥事は防ぎようのなかった複雑な部分での不手際だったが、これもまた大いなる反省の一つとして改善していかなければならない。いずれにしても「公平・公正・中立」というのは厳しい選挙戦に精力を尽くした両者から不満が寄せられるということであり、本当にこれを追及していくにはどちらからも恨まれる覚悟が不可欠だということだ。でもそのことは長い目で見れば多くの市民の賛同を得られることは間違いないし、全ては健全な納税者のためだと信じ、心を鬼にして大義名分をつくる姿勢こそが求められる改革マインドだと思う。