黒田成彦のつぶやき

長崎県平戸市長の黒田成彦です。 日本本土最西端で地域おこしや産業振興に汗を流しています。 平戸市は古来より大陸との交易の窓口として栄えた貴重な歴史があり、また豊かな自然はたくさんの旅人を魅了し、そこから生産される新鮮な農林水産物は市場から高い評価を得ています。このブログを通じて、日頃思っていることや平戸市のことをドンドン発信していきますので、よろしくお願いします。

2014年05月

県内自治体のトップが逮捕されるという衝撃的なニュースは、その後明るみになってくる報道内容とともに考えさせられることが多くある。地元長崎新聞では『衝撃の波紋』と題した特集記事が三日連続掲載され、その中で「汚職の土壌は変わっていない」とされる元首長のコメントがあった。その「土壌」とは首長選挙ごとに繰り返される公共工事を請け負う業者間の対立構図だ。歴史的に長引く派閥対立によって選挙が厳しくなれば、候補者にとっては組織拡大と活動経費の確保のため多額の資金が必要となり、そこに支援する業者が費用負担を申し出る。結果、勝利した首長は強力な権限で指名入札制度に介入し支援業者に便宜を働くという「もたれあいの構図」だ。

ただしこのことは今回の南島原市に特化したものでもなく、古くからどこにでもある癒着体質だと思われる。私が初の市長選挙に挑んだ5年前もそうした元首長同士の対立する派閥構造が平戸市にもあった。ある意味、その対立構図に乗っかった形で私の陣営も結果的に有利に戦いを進めることができたのかもしれない。しかしその後が大変だった。私を支援した複数の業者からは「(応援したのに)何のメリットも得られていない」「なぜ相手陣営の業者を指名から外さないのか」という苦情が寄せられ、その一方で敵対する陣営からは「今度の市長は腰抜けだ。(報復など)何もしきれん」と揶揄された。つまりどっちの陣営からもマイナス評価だったのだ。

それだけ罵倒される言葉が寄せられながら、私がその古い体質から脱却できたのはマニフェストの力だったかもしれない。私はマニフェスト項目のタイトルに「今こそ平戸維新!」を掲げ「明治維新は倒幕派、佐幕派の対立をのり超え日本が一つになった偉業だ。平戸市も昔ながらの派閥抗争にピリオドを打ち、足を引っ張らないで手を取り合い結束すべきだ」と訴えていた。だから当選した翌日からこの理念を覆すわけにはいかなかった。また私が市長になった歴史的意義もそうした市内の無意味な対立意識を「無力化」することだと自分に言い聞かせていた。もう今となっては誰もそんな不満は言わなくなったが、とにかく当時は精神的にも辛かったのは事実だ。

とにかく透明性を高め客観性をもって入札契約制度の改革に取り組んできた。ただし昨年の職員による不祥事は防ぎようのなかった複雑な部分での不手際だったが、これもまた大いなる反省の一つとして改善していかなければならない。いずれにしても「公平・公正・中立」というのは厳しい選挙戦に精力を尽くした両者から不満が寄せられるということであり、本当にこれを追及していくにはどちらからも恨まれる覚悟が不可欠だということだ。でもそのことは長い目で見れば多くの市民の賛同を得られることは間違いないし、全ては健全な納税者のためだと信じ、心を鬼にして大義名分をつくる姿勢こそが求められる改革マインドだと思う。

この本は韓国チェジュ島出身の呉善花氏の著書であり、彼女は韓国に愛想をつかして日本へ帰化した人物であることは広く知られている。過去には日韓比較文化論を表したデビュー作品『スカートの風』で山本七平賞を受賞されており、その頃から私は彼女の言説に惹かれていくつかの作品を購読させていただいる。久々の著書購入となったが、現在もなお悪化している日韓関係の中で呉氏による「最後のとどめ」とも言うべき韓国人のメンタリティが詳しく分析されたのがこの作品だ。ここまでくれば「日帝による植民地支配」などという近代史から起因する対立ではなく、もっと根深いところにあるということが証明されたといえよう。

彼女はそうした韓国人の深層心理には中国という大国との関係性と民衆統治の基本理念であった朱子学の影響を述べている。むしろこの思想統一こそが韓国の歴史において職業差別と格差社会を位置付けており、それらはさらに韓国人自身が、軍人や技術習得者を蔑視していることなどにも表れていると解説されている。そしてさらには日本人の美徳であり身だしなみとされている食事の作法や靴の並べ方まで相反する価値観として対立し存在するので、こうした文化格差、価値観の相違はいかんともしがたい大きく厚い壁になっていることが、古くから朝鮮半島に生きる者として島国日本を侮蔑した見方しかできないという韓国人の「恨」の精神構造であることを述べている。

ただしこうしたいびつな関係が日韓両国に将来にわたって続くことがいいかといえばそれは隣国同士の地政的かつ安全保障上の課題として何とか克服しなければならない課題だろう。そしてよくよく考えれば、朱子学からもたらされた硬直した排外的な考え方やその一方で戦後から今日まではびこっている左翼思想による階級闘争史観に則った考え方はかつての日本にもあったということから「いつか来た道」として何らかのアドバイスを日本は果たすべき役割があるのではなかろうか。

では日本はどうやって戦前と戦後の左右両極にまたがる思想的な揺れ動きを克服したかというと、これらは全て「言論の自由」によって成し遂げられたのだと思う(まだ十分ではないが)。韓国は当然民主国家であるがかつての軍事政権におけるレッドパージ政策、そしてそれに対する反動左翼による親北朝鮮思想(太陽政策)と反日思想統制による言論弾圧と思想画一化によって、そこには日本との関係を冷静に見直す言論が存在しない。これを是正し、自らを省みる考え方が生まれない限り韓国の真の民主国家としての再生は難しいのかもしれない。そして日本もその日が来るまで真の友好は難しいのだろう。

一つの本を読んで感想文をこれほど長く書いたのは初めてだが、この項をもって終わりにしたい。そのテーマは標記の通り「音楽の効用」だ。どこの図書館でもそうだが、基本的に静寂な空間として位置付けられており、樋渡市長自身も「市長、図書館なのでお静かにお願いします」と叱られたと書いている。しかしこのことが子供連れの利用者の足を遠ざけていることの大きな理由の一つであり、くつろげる雰囲気が演出できない要因でもあったことが確認できた。

同書でも新しい図書館では音楽を活用した結果、「子どもが多少泣いても騒いでも、音楽がストレスの緩衝材となっている」「泣き声さえも音楽と吹き抜けの空間が吸収してしまう」、そして「今の武雄図書館は多様性と寛容さを認める空間になっている」と紹介されている。まさに多様性と寛容さを音楽によって解決に導けるなんて芸術的ではないか。

よくよく考えてみれば、視力はその見える範囲が180度から230度くらい(かな?)に限られているが、聴力は前後左右上下の音まで感知できるし、目には瞼というフタがついていても耳にはフタはない。また胎児の時から母親のお腹の中で鼓動を聞きながら育つことや心地よい音楽が胎教に好影響を及ぼすなど指摘されており、人間の五感の中で最初に活躍する器官であるといえるし、音楽は使い方によって、その感情を和らげたりする心理的な効用が認められている。

そしてその効果を図書館に応用することによって多少の雑音すら消してしまう結果になり、遠慮がちだった子連れ利用者が多くなったという実績は注目に値する。平戸市図書館は2年後の完成をめざし現在リニューアル建設が始まったばかりだが、この点は大いに参考にさせていただこうと思っている。実はここで白状するが、私はまだ武雄市図書館に行ったことがない(汗)。はたしてどのような音楽で心を和ませてくれ、くつろぎの空間を演出しているのだろうか訪問を楽しみにしている。そして機会があれば、今度は樋渡市長と音楽談義でもしてみたいと思う。

「市長」という立場に立つと、様々な市民ニーズが寄せられる。その一つひとつに耳を傾けると、「なるほど」と頷けるものから「そんなことまで」と首をかしげたくなるようなものまで幅が広い。当然、施策に反映していくには予算の都合、人員体制などを配慮しながら計画通りに進めなければならないし、その経過や効果については議会とともに情報を共有しなければならないので、その時々の判断や優先順位の設定は難しい課題の一つだ。

武雄市では全国初の民間経営型公立図書館が誕生し、画期的な改革を踏まえた活性化と学びやくつろぎの場として成功をおさめている。しかしその舞台裏にはあらゆる市民のニーズに対して取捨選択をしなければならなかった苦悩も存在したことがこの本を読んで理解できた。特に「公募のあり方」という公正性や透明性を伴わなければならないものは説明責任がかなり大きく重いし、その他にも、例えば「雑誌を揃えろ」とか「バックナンバーも保管しておけ」など運営上の多様なニーズなどがあるが、その中でも駐車場問題が悩ましいと記されてある。確かにこれだけマスメディアに取り上げられ注目されれば当然のごとく行政関係者、議会関係者のみならず一般市民が全国から押し寄せることになるので駐車場確保は深刻な課題と想像できる。

樋渡市長は同書の中で『失敗も山ほど』と記してこの問題への対応を紹介している。「満車の時は少し離れた武雄市文化会館に誘導するようにしている」が、それでは不便だとしてマイクロバスや無料シャトルバスの要望が寄せられたらしい。これに対して樋渡市長は「ごめんなさい」とやわらかに断りを入れているがその論理はこうだ。障害を持つ人には専用駐車場を使ってもらうようにしているし、病院などへの入院患者への貸出サービスの継続を整備するなど、来館するのにハンデを持つ人には最大限の配慮をしている。しかし「あったら便利」という程度のものは「優先順位としてはかなり低い」と。

彼の判断基準は「様々なハンデがあって合わせられない弱い立場の方に配慮するのが政治だ」として政策の優先順位を決めており、これは私にとっても大いに参考になる。つまり「あったら便利」というアドバイスや提案は、意欲ある多くの市民やあらゆる知恵者から数多く寄せられるが、それらの中には必ずしも行政がやらなければならないものばかりではない。よほど民間サイドが実践した方がいいものもあるからこそ、彼はそうした取捨選択に果敢に取り組み、遠慮なく民間企業や民間資本を招き入れることによって過去にも成功事例がある。

これはこれからの政治行政を担う立場の者にとっては重要なモノサシだ。同書にも「ハコモノは極力つくらないようにしてきた。僕の政治信条は保守かリベラルかを飛び越えて、優先順位をいかにつけるか、そして市民から預かった貴重な税金を財源として、いかに有効に使うか、その点にある」と述べている。つまり目先の利便性よりも、将来世代の負担につながらないような取捨選択をする英断こそが政治の本懐としている点は尊敬に値すると思う。市民にとって嫌な答えを出さなければならないことだって政治家の重要な仕事なのだ。

前回のブログで「私自身が深く反省させられ勉強させられたことだったので次回以降に詳しく述べたい」と書いたが、それは市長と市議会の関係についてのことだ。公共図書館を指定管理制度において特定の民間企業に委託するということがどれだけすごいことかは、これまでの同館をめぐる激しい賛否両論の様子でも理解できる。その中でよくぞ市議会での合意形成を成し遂げることができたなぁと感心した私は、とんでもない勘違いをしていたことに反省させられた。

私自身は5年前の激しかった平戸市長選挙で相手候補にダブルスコアで勝利した。その時、私を応援してくれた市議会議員は同日の選挙において議席の半数以上を占めることができたので、いわゆる「安定多数」を確保できた順風満帆の船出だったのだ。それに加えてその時の選挙が「マニフェスト型選挙」と位置付けられていたので、私の掲げた政策のほとんどが市民に承認されたという自負心を持っており、「いい政策提言は賛同されてしかるべきだ」という慢心と今回の選挙結果はその表れだという思い上がりが自分の中にあった。従って私は「民主主義は数の論理だ。だから少しの反対があっても大多数の賛成があればいい」とタカをくくっており、いわゆる議会議員への説明などは部下の職員の仕事であり、議論は本会議で直接ぶつかりあえばいいと思い込んでいた。

しかしこの本で樋渡市長は「事前に説明するのは、賛成誘導が目的ではなく、前提条件を整えるだめだ」と書いている。それは議論を有効に展開する土台をつくるためで、あくまでこれを見守る市民(納税者)に重きを置いている。賛成派議員だって疑問に思うこともあり、そういう指摘を謙虚に受け止め、市民の税金によって運営される議会というものを意味あるものに位置づけているのだ。そして彼は批判や反論を「楽しむ境地」として歓迎すらしている。そうした批判・反論に対して、再批判・再反論をしてみることによって意外な突破口が見出せるとしている。これは議論下手な日本人にとって素晴らしいアドバイスだともいえる。

平戸市においても今後の行政課題は山積しており、これらを解決していくためには相当な議論が不可欠だ。その状況にあって今回の樋渡市長の経験は私に大きな示唆を与えてくれた。「万機公論に決すべし」という民主主義の前提には、議論の摺合せという土台づくりも重要であり、それらを含めて市民が見守っているという意識を抱き続けなければならないことを学ばされた。

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